第13課 安河内アキラ

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2015年 第3期 聖書の宣教師たち
第13課 全世界が耳にする必要があるのか

今週の聖句  使徒言行録4:12、詩編87:4~6、ヨハネ10:16、ローマ2:12~16、ヨハネ14:6、ローマ1:18

今週の研究  あらゆる時代を通じて、何百万もの人々が聖書の救済計画を知らずに死んで行きました。
 このことは二つのぬぐいがたい疑問を引き起こします。第一は、神を知ることのなかったこれらの何十億という人々を、神は裁きの日にどのように扱われるのかという疑問です。第二は、イエスによる救済計画を知ること以外に救いはあるかという疑問です。救いはただ一つのキリスト教の教派にあると答える人もいるでしょうし、それとは対照的に、あらゆる宗教は神と永遠の命へ導くのに等しく有効なものであると信じている人もいます。
 覚えておくべき重要な点は、イエスが神の御品性を示されたこと、それが、全人類に対する神の愛と可能な限り多くの人に救われてほしいという神の願いについて多くを物語っているということです。

日曜日:救われる人は―イエスが肉体を取って来られる前であれ、後であれ―、だれもがイエスを通してのみ救われます。そしてそれは、イエスの名前や救済計画を耳にしたことがあったかどうかには、関係しません。
 「異教徒の中には、知らないで真の神を礼拝している人たち、すなわち人を通して光を与えられたことのない人たちがいるが、それでも彼らは滅びないのである。彼らは書かれた神の律法については無知であるが、自然を通して語りかける神のみ声を聞き、律法に要求されていることを実行した。彼らのわざは聖霊が彼らの心に触れた証拠であって、彼らは神の子らとして認められる」(『希望への光』1009ページ、『各時代の希望』下巻108、109ページ)。

木曜日:キリスト教の宣教の歴史は、塩としてこの世に入って行き、個人や地域や、ときには国民全体に命の福音をもたらした献身的な宣教師たちの物語で輝いています。
 しかし古代イスラエルと同じように、このような宣教の成功は、宣教師自身や彼らの宣教組織の人的欠点によって、あまりにもしばしば損なわれてきました。こういった人的欠点には、次のようなものが含まれます。①ずさんな伝道計画や任務に対する理解不足、②教育、医療、災害や開発の支援などに目を向けすぎて、福音宣教をおろそかにすること、③派遣組織の人員不足や財源不足、④任務に適していない宣教師、⑤福音の宣教を禁じる国々。
 言うまでもなく、宣教が簡単にできるなどと、これまでに言った人はいません。私たちは大争闘のただ中にあり、近隣であれ、世界の最も離れた僻へきち地であれ、敵は私たちの伝道の努力を阻もうとあらゆる手立てを尽くすでしょう。しかし、私たちは落胆してはなりません。なぜなら、私たちにはすばらしい力の約束がたくさん与えられており、神が地上における御目的を果たされるのは確実だからです。「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザ55:11)と書かれているとおりです。

金曜日:紀元1世紀のクリスチャンにとって、「世界中」「全世界」とは、どれほどの広さだったのでしょうか。彼らはキリストの十字架のあと数年の間に、今日のキプロス、シリア、トルコ、マケドニア、ギリシア、イタリアに達していました。北はロシア南部(古代スキタイ)、南はエチオピア、東はインド、西はスペインまで、彼らが福音を伝えたという証拠があります。
 初期のキリスト教宣教師たちは、福音を携えて全世界に行かなければならない、と信じたのでしょうか。使徒言行録によれば、あの五旬祭の日(キリスト教会の「誕生日」)に、聖霊は、一連の国々、地方、民族の来訪者たちに、「神の偉大な業」を宣べ伝え始めました(使徒2:5~11)。キリスト教会は生まれたその日から、自分たちの宣教の世界的広がりを自覚していました。もし彼らがそのような理解を当時持っていたのなら、今日の私たちはなおさらそうする必要があるでしょう。

今期は伝道について学びました。みなさまはどのような学びをなさいましたか。伝道は何を伝えるのでしょう。それは「十字架に架かってくださった救い主イエス・キリスト」を伝えることです。また伝道の目的は、まだイエス・キリストを知らない人に、み言葉を伝えて→改心して、信じることにより生活の改変→弟子となり、福音を伝える働きを担うように訓練をすることです。伝えるだけでなく育てて神さまのために働く人を作っていくことが伝道の最終目的なのです。
 伝道はわたしたちが神さまからゆだねられた働きです。神さまはいろいろな導きを与えてくださいますが、伝える働きはわたしたちに託されています。人がそれぞれの言葉でみことばを伝えて行かねばなりません。けれども、その働きの結果はわたしたちが想像できない結末となることもしばしばあります。そして神さまの働きを讃美するのです。
 今週の学びで、救いの基準について日曜日から水曜日まで書かれています。聖書を読むと、いろいろな教えが書かれています。キリストを主と告白することは救われるために必要なこととして多くのクリスチャンは認めています。けれども1549年以前の日本人はどうなってしまうのでしょうか。同じように世界中でキリストを知る機会が無かった方々も多いことでしょう。その方々と、子どもの時から教会に通っていたわたしを同じように神さまがご覧になるとしたらそれは果たして公平でしょうか。
 このことではっきりしていることは、お決めになるのは神さまだということを忘れてはなりません。その神さまは「御子によって世が救われるため」(ヨハネ3:17)にキリストを送ってくださった方なのです。そして神さまがご覧になるところは人とは異なります。神さまはわたしたちの心の中までご存知のお方です。ですから、きっとわたしたちが納得できる方法で救いをお決めになることでしょう。
 わたしたちがすることは、いかにして救われるかを心配するのではなく、神さまの救いを信頼して、それぞれの置かれた場所で「地の塩」として人々に仕えて、「世の光」として置かれた場所で福音を語ることではないでしょうか。

セブンスデー・アドベンチスト教会

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