第2課 安河内アキラ

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2015年 第4期 エレミヤ書
第2課 内外における危機

今週の聖句  士師記2:1~15、列王記上12:26~31、歴代誌下33:9、10、エレミヤ2:1~28、5:2、3

今週の研究  聖書全巻を通じて、多くの物語は何らかの危機を背景にして生まれました。エレミヤが活躍した時代の状況も何ら変わりません。
 神の民は、内外からの多くの問題に直面していました。不幸なことに、外国勢力からひどい軍事的脅威を受けていたにもかかわらず、最大の危機はさまざまな形で内側からもたらされました。「内側」というのは、堕落した指導者や祭司たちを意味するだけではありません。それだけでも十分にひどいですが、「内側」は、罪と背教によって心がかたくなになり、堕落しているために、神が送られた警告、彼らを災害から救いえた警告に耳を傾けることを拒絶した人々をも意味しました。
 罪はそれだけで十分にひどいものですが、あなたが罪から離れるのを拒むとき、まさにそれが危機なのです!

月曜日:ひどい指導者たちにもかかわらず、エレミヤ書を含む聖書の預言書の多くは、国の中枢部にまで巣食っていた罪と背教から御自分の民を立ち帰らせようとして、神が彼らに遣わされた預言者たちの言葉です。主は、御自分の民が悪の道を離れ、その罪によって必ずもたらされる災難を免れることができるよう、彼らに多くの時間と機械会を与えることなくして、彼らを諦あきらめようとはなさいませんでした。

水曜日: エレミヤ27:6を読んでください。エレミヤの働きの初期、弱小王国ユダは、バビロン、エジプト、衰退しつつあったアッシリアの間の軍事衝突の中に、いつの間にか巻き込まれていました。紀元前7世紀末のアッシリア帝国の衰退に伴い、エジプトがこの地域における権力と支配を取り戻そうとしました。しかし、紀元前605年のカルケミシュの戦いでエジプトは粉砕され、バビロンが新しい世界勢力になりました。
 この新しい勢力はユダを属国にしました。ユダの王ヨヤキム(エホヤキム)は、国を安定させるためにバビロンの王に忠誠を誓わざるをえませんでした。しかし、ユダの多くの者はそうすることを望まず、神が意図しておられなかったにもかかわらず、バビロンと戦い、バビロンから逃れたいと思いました。ところが神は、ユダを背教のゆえに罰する器としてバビロンを用いておられたのです。

 エレミヤは民に向かって、彼らの罪のゆえに起こるであろうことを何度も警告しましたが、政治的、宗教的指導者の多くは、彼らが信じたいこと―主が彼らを救ってくださるということ―を信じて、その警告に従うことを拒否しました。そもそも、彼らは神から特別に召された民ではなかったのでしょうか。

木曜日:エレミヤ5:2、3を読んでください。状況がいかに悪化しているかを示すようなことがここで述べられています(レビ19:12参照)。この二節は、エレミヤ書全体にあらわれている一つの点を問題にしています。国がひどく堕落していたにもかかわらず、民の多くは、自分たちが依然として主に忠実に従っていると思っていたのです! 彼らは主の名前を口にしていましたが、神が命じられたように「真実と公平と正義をもって」(エレ4:2)ではなく、「偽って」そうしていました。彼らは神からの警告に耳を傾けていませんでしたが、彼らと神との間にはまったく問題がないかのように生活し、宗教的しきたりを続けていました。実際には、神と彼らの間はほとんどまったく正しくはなかったのでした。

種まきのたとえ(マタイ13:18~23参照)で、種は同じですが蒔かれた地の状態で、発芽して大きく育つかが決まります。このたとえは、種である福音やメッセージが同じように語られても、聴いている会衆が受け入れなければ、そしてその人の中で人生の改変が起こらなければ、そのメッセージは届いたことにはなりません。
 今週の学びにおいて、神さまは背教したイスラエルやユダを救うために、次々預言者を送られました。けれども大切なことは、民がその声を受け入れて、その教えによって悔い改めて新たな歩みを始めなければ意味がありません。聖書はくりかえして、いろいろな方法やたとえを使って警告をしています。
 先日、茨城県常総市で大規模な水害がありました。その検証を行っていた番組で、洪水になって逃げ遅れた方々にインタビューをしていました。彼らは「この場所は、今まで川が氾濫したことが無いので、今回も大丈夫」、「堤防の決壊した場所は、数キロ上流などで、わたしの家は大丈夫」と自分で判断を下し避難勧告を無視した結果、気づいたら家のまわりまで水が押し寄せてきていたのです。彼らが大丈夫と思った根拠は過去の経験だけでした。彼らの判断基準は「根拠のない安心」の上に立っていたのです。
 どんなに警報が出されても、それを聞こうとしなければ救われません。みことばも同じです。あなたへの声として聞いて行わなければ、救いへと導かれません。

セブンスデー・アドベンチスト教会

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