第2課 聴覚しょうがい者用:山地 宏

第2課 聴覚しょうがい者用:山地 宏

PDFダウンロード 2015年 第4期 エレミヤ書 第2課 内外(ないがい)における危機(きき) 1.はじめに 10月3日(安息日午後) エレミヤが預言者(よげんしゃ)として、神様の働きを始めた最初のころ、ユダ王国は国の外側(そとがわ)から来る問題に出会(であ)っていました。それは、外国からの攻撃(こうげき)です。ユダ王国の周(まわ)りにはエジプト、バビロン、アッシリアといった力を持った国々(くにぐに)がありました。そうした周りの国々からユダ王国はいろいろと悩まされていました。つまり、自分の国の外側から来る危機です。 しかし、ユダ王国はもっと大きな問題を、自分の国の内側(うちがわ)に持っていました。それは、国の王様や宗教の先生たちが、神様の教えに従わないで、正しくないことを行(おこな)ったり、神様ではない偶像(ぐうぞう)を礼拝したりしていたことです。国のリーダーたちがそんな風(ふう)になってしまうと、国民全体が悪いほうに流されて行きます。神様の教えに従わずに悪いことをし続けていると、どのようなことになってしまうかということを、エレミヤのような預言者たちが注意しても、たくさんの人たちがその注意の言葉を聞かなくなってしまいました。罪を犯すことは、それだけでもひどいことですが、罪から離れようと思わなくなってしまうことは、もっと大きな問題です。それこそが、ユダ王国が抱(かか)えていた内側からくる危機でした。   2.歴史概観(れきしがいかん) 10月4日(日曜日) 旧約聖書に書かれている、イスラエル民族の歴史を振(ふ)り返(かえ)ってみると、内側と外側からの危機にくり返し出会(であ)っていることがわかります。モーセの時代に、イスラエル民族は、奴隷(どれい)だったエジプトから救い出されて、カナンの地に入りました。カナンの地に入ると間(ま)もなく、そこで平和に暮(く)らしていく中でたくさんの子供たちが生まれました。つまり、自分たちは神様から救い出されたのだということを、知らない新しい世代(せだい)の人たちです。旧約聖書の士師記(ししき)に書かれている時代(じだい)のイスラエルは、こういう人たちばかりでした。それで、たくさんの人たちが、神様の教えに従わなくなりました。そのせいで人々はいろんな危機にあうことになります。でも、そのようなイスラエルでも、神様は見捨(みす)てずに、危機から助けるために、士師(しし)という特別な助ける人を送られました。 士師の時代のあと、サウル王、ダビデ王、ソロモン王の時代には、イスラエルは1つの国として、平和と豊(ゆた)かさを楽しみました。しかし、ソロモン王が死んだあと、国は2つの国に分かれてしまいました。ソロモンが国民をきびしく働(はたら)かせたり、たくさんの税金を取り立てたことで、人々の不満が高まったことが、大きく影響(えいきょう)したようです。 3.二つの王国(おうこく) 10月5日(月曜日) ソロモン王が亡(な)くなったあと、イスラエルの国は、北王国(きたおうこく)イスラエルと南王国(みなみおうこく)ユダに分かれてしまいました。国が二つに分かれてから、民はどんどん悪くなっていきます。 まず、北王国イスラエルでは、最初の王ヤラべアムが金の子牛(こうし)を作って、公(おおやけ)に偶像(ぐうぞう)礼拝を民に勧(すす)めたことが、後(のち)の時代にまで影響を与えて、国全体が神様から離れていってしまいました。その結果、北王国イスラエルは、紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされてしまいます。 南王国ユダは、北王国が滅(ほろ)びたころ、北王国ほど悪くはありませんでした。また、何人(なんにん)かの善(よ)い王様もいました。けれども、南王国ユダでもやはり悪い王様が続きました。ユダ王国も、神様から離れて悪いことを続けていると、北王国のように滅(ほろ)んでしまうことを知っておられた神様は、エレミヤやほかの預言者を送って、悪いことをやめて神様に立ち返るように、働きかけられました。 4.二つの悪(あく) 10月6日(火曜日) エレミヤが預言者としての働きを始めた時代は、北王国イスラエルが滅んで、南王国ユダにも同じような危機が近づいているような時代でした。放(ほう)っておくと北王国イスラエルと同じように、国全体が神様から離れて、国が滅んでしまう方向(ほうこう)にどんどん落ちていってしまいそうでした。神様はエレミヤを通して、その頃(ころ)の民の悪い状態を次のように言っています。「まことに、わが民は二つの悪を行(おこな)った。生ける水の源(みなもと)であるわたしを捨てて、無用の水溜(みずた)めを掘(ほ)った。水をためることのできない、こわれた水溜(みずた)めを」(エレミヤ2:13)。 つまり、ユダ王国の行(おこな)った2つの悪とは、まことの神様を捨てたこと、そして、命を与えることもできない、神様ではないものに頼(たよ)ったことでした。このようにして「彼らは空(むな)しいものの後(あと)を追(お)い、空しいものとなってしまった」(エレミヤ2:5)のです。 5.バビロンの脅威(きょうい) 10月7日(水曜日)  エレミヤが預言者としての働きを始めたころ、バビロンがどんどん力をつけてきていました。このバビロンがユダ王国に攻(せ)めてきて、ユダ王国をバビロンの国の一部にしてしまいました。実(じつ)はバビロンからユダ王国が攻められたことは、神様がゆるしておられたことでした。ユダ王国が神様から離れて悪いことをし続けているので、神様はバビロンにユダ王国を攻めさせ、滅ぼそうとされたのです。しかし、実際(じっさい)にこのことをなさる前に、神様は、エレミヤを通して、罪から離れて神様に立ち返るようにとメッセージを送りました。そのメッセージを聞いても、ユダ王国のリーダーたちは、自分たちは神様の特別な民だから、神様がちゃんと守ってくださるはずだ、と言って、罪から離れようとしませんでした。 6.偽(いつわ)りの誓(ちか)いをする 10月8(木曜日) エレミヤ5:2には、「『主は生きておられる』と言って誓(ちか)うからこそ、彼らの誓いは偽りの誓いとなるのだ」と書かれています。これは、民は主の名をつかって誓うけれども、実際(じっさい)には神様の言うことに逆(さか)らっていたので、誓った最初からうそをついているのと同じことだということです。神様の名前を出すことで、自分は神様にちゃんと従っている者だと見せかけていたのでしょうか。 また、エレミヤ7:4には「主の神殿(しんでん)、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依(よ)り頼(たの)んではならない」と書かれています。民は、神様の神殿がエルサレムにあるから大丈夫(だいじょうぶ)だ、と考えていたのでしょうか。神殿をお守りのように考えていたのでしょうか。しかし、実際には神殿がユダの人々を守ってくれるのではなくて、神様の言葉に心から従うことによって、神様の守りの中に生きることができるはずだったのです。 セブンスデー・アドベンチスト教会

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第13課 安河内アキラ

第13課 安河内アキラ

PDFダウンロード 2015年 第3期 聖書の宣教師たち 第13課 全世界が耳にする必要があるのか 今週の聖句  使徒言行録4:12、詩編87:4~6、ヨハネ10:16、ローマ2:12~16、ヨハネ14:6、ローマ1:18 今週の研究  あらゆる時代を通じて、何百万もの人々が聖書の救済計画を知らずに死んで行きました。  このことは二つのぬぐいがたい疑問を引き起こします。第一は、神を知ることのなかったこれらの何十億という人々を、神は裁きの日にどのように扱われるのかという疑問です。第二は、イエスによる救済計画を知ること以外に救いはあるかという疑問です。救いはただ一つのキリスト教の教派にあると答える人もいるでしょうし、それとは対照的に、あらゆる宗教は神と永遠の命へ導くのに等しく有効なものであると信じている人もいます。  覚えておくべき重要な点は、イエスが神の御品性を示されたこと、それが、全人類に対する神の愛と可能な限り多くの人に救われてほしいという神の願いについて多くを物語っているということです。 日曜日:救われる人は―イエスが肉体を取って来られる前であれ、後であれ―、だれもがイエスを通してのみ救われます。そしてそれは、イエスの名前や救済計画を耳にしたことがあったかどうかには、関係しません。  「異教徒の中には、知らないで真の神を礼拝している人たち、すなわち人を通して光を与えられたことのない人たちがいるが、それでも彼らは滅びないのである。彼らは書かれた神の律法については無知であるが、自然を通して語りかける神のみ声を聞き、律法に要求されていることを実行した。彼らのわざは聖霊が彼らの心に触れた証拠であって、彼らは神の子らとして認められる」(『希望への光』1009ページ、『各時代の希望』下巻108、109ページ)。 木曜日:キリスト教の宣教の歴史は、塩としてこの世に入って行き、個人や地域や、ときには国民全体に命の福音をもたらした献身的な宣教師たちの物語で輝いています。  しかし古代イスラエルと同じように、このような宣教の成功は、宣教師自身や彼らの宣教組織の人的欠点によって、あまりにもしばしば損なわれてきました。こういった人的欠点には、次のようなものが含まれます。①ずさんな伝道計画や任務に対する理解不足、②教育、医療、災害や開発の支援などに目を向けすぎて、福音宣教をおろそかにすること、③派遣組織の人員不足や財源不足、④任務に適していない宣教師、⑤福音の宣教を禁じる国々。  言うまでもなく、宣教が簡単にできるなどと、これまでに言った人はいません。私たちは大争闘のただ中にあり、近隣であれ、世界の最も離れた僻へきち地であれ、敵は私たちの伝道の努力を阻もうとあらゆる手立てを尽くすでしょう。しかし、私たちは落胆してはなりません。なぜなら、私たちにはすばらしい力の約束がたくさん与えられており、神が地上における御目的を果たされるのは確実だからです。「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザ55:11)と書かれているとおりです。 金曜日:紀元1世紀のクリスチャンにとって、「世界中」「全世界」とは、どれほどの広さだったのでしょうか。彼らはキリストの十字架のあと数年の間に、今日のキプロス、シリア、トルコ、マケドニア、ギリシア、イタリアに達していました。北はロシア南部(古代スキタイ)、南はエチオピア、東はインド、西はスペインまで、彼らが福音を伝えたという証拠があります。  初期のキリスト教宣教師たちは、福音を携えて全世界に行かなければならない、と信じたのでしょうか。使徒言行録によれば、あの五旬祭の日(キリスト教会の「誕生日」)に、聖霊は、一連の国々、地方、民族の来訪者たちに、「神の偉大な業」を宣べ伝え始めました(使徒2:5~11)。キリスト教会は生まれたその日から、自分たちの宣教の世界的広がりを自覚していました。もし彼らがそのような理解を当時持っていたのなら、今日の私たちはなおさらそうする必要があるでしょう。 今期は伝道について学びました。みなさまはどのような学びをなさいましたか。伝道は何を伝えるのでしょう。それは「十字架に架かってくださった救い主イエス・キリスト」を伝えることです。また伝道の目的は、まだイエス・キリストを知らない人に、み言葉を伝えて→改心して、信じることにより生活の改変→弟子となり、福音を伝える働きを担うように訓練をすることです。伝えるだけでなく育てて神さまのために働く人を作っていくことが伝道の最終目的なのです。  伝道はわたしたちが神さまからゆだねられた働きです。神さまはいろいろな導きを与えてくださいますが、伝える働きはわたしたちに託されています。人がそれぞれの言葉でみことばを伝えて行かねばなりません。けれども、その働きの結果はわたしたちが想像できない結末となることもしばしばあります。そして神さまの働きを讃美するのです。  今週の学びで、救いの基準について日曜日から水曜日まで書かれています。聖書を読むと、いろいろな教えが書かれています。キリストを主と告白することは救われるために必要なこととして多くのクリスチャンは認めています。けれども1549年以前の日本人はどうなってしまうのでしょうか。同じように世界中でキリストを知る機会が無かった方々も多いことでしょう。その方々と、子どもの時から教会に通っていたわたしを同じように神さまがご覧になるとしたらそれは果たして公平でしょうか。  このことではっきりしていることは、お決めになるのは神さまだということを忘れてはなりません。その神さまは「御子によって世が救われるため」(ヨハネ3:17)にキリストを送ってくださった方なのです。そして神さまがご覧になるところは人とは異なります。神さまはわたしたちの心の中までご存知のお方です。ですから、きっとわたしたちが納得できる方法で救いをお決めになることでしょう。  わたしたちがすることは、いかにして救われるかを心配するのではなく、神さまの救いを信頼して、それぞれの置かれた場所で「地の塩」として人々に仕えて、「世の光」として置かれた場所で福音を語ることではないでしょうか。 セブンスデー・アドベンチスト教会

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第12課 青木泰樹

第12課 青木泰樹

PDFダウンロード 2015年 第3期 聖書の宣教師たち 第12課 宣教とメッセージ――パウロ   青木泰樹 安息日午後 今週のテーマ 若い頃から律法を学び、ローマ市民権を持っていたパウロは、ギリシアやローマの影響が強い世界において、聖書を解き明かし、福音を語るにはうってつけの人物でした。パウロが書き送った13の手紙を通して、聖書とは異なる文化圏においてどのように信仰を守っていくことができるかということ、そのような文化圏に住む人々へのアプローチの方法を学ぶことができます。 日曜日 ギリシア人とユダヤ人 パウロは人々を何とかしてイエスに導くために、相手が信じていること、相手が興味を持っていることを糸口にして、復活されたキリストを証ししようと試みました。相手の価値観や文化を間違ったものであると全否定するのではなく、むしろそれを学び、利用することによって真理を伝えることがパウロの伝道方法でした。 月曜日 兵士と競技者  イエスがたとえ話をよくされたように、パウロも人々にとって身近なものを例に用いながら真理を伝えました。賞を得るために日々の鍛練を怠らない競技者、皇帝に忠誠を誓い、いつも戦いに備えている兵士の姿に、パウロはクリスチャンのあるべき姿を重ね合わせています。 火曜日 パウロと律法 パウロは律法をキリストの十字架による贖いを表す犠牲制度に関する「礼典律」と、すべての時代においてすべての人が守るべき「道徳律」とに区別しています。キリストがすでに十字架におかかりになり贖いを実現してくださった今、「礼典律」はその役割を終えましたが、「道徳律」は今も神がわたしたちに守ることを求めています。 水曜日 十字架と復活 あらゆる宗教が教えている霊魂不滅という考えに対して、パウロははっきりとキリスト教の死生観を伝えました。パウロは霊魂不滅を否定することによって、神と人間の違いをはっきりさせ、生きていようが死んでいようが、人間が神になることは絶対にないことを教えたのです。 木曜日 うまく付き合う パウロは能力がとても高い人間であったようですが、決してワンマンではありませんでした。チームワークを大切にし、その人の資質を見極めて役割を与えていました。物事をうやむやにはしない性格だったため対立することもあったようですが、仲間を恨んだり憎んだりしたことはなかったのではないでしょうか。 金曜日 さらなる研究 パウロが確信を持って書き送ったメッセージは、今も神の言葉としてわたしたちの心に語り続けています。自分が書いた13の手紙が2015年の日本において読まれているなどということは、パウロは思っていなかったはずです。その時々に神から示されたなすべき務めに忠実であり続けた結果、パウロの思惑をはるかに超えて、神はパウロを用いてくださっています。同じように、わたしたちがすぐ近くにいる大切な人に福音を伝えようと献身するとき、神はわたしたちを大きく用いてくださるのです。 セブンスデー・アドベンチスト教会

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第13課 河原 久

第13課 河原 久

PDFダウンロード 2015年 第3期 聖書の宣教師たち 第13課 全世界が耳にする必要があるのか   河原 久 ●飛行機に乗って眼下に広がる街並みを見ていつも溜息つき思う。「こんなにも多くの人に果たして福音を宣べ 伝えることができるのだろうか。伝えられなかった人はどうなるのか」と。伝道の業にたずさわる者なら今週の「ぬぐいがたい疑問」は胸に秘めていた疑問である。それはp88の「神を知ることなく眠りについた何億という人々を神は裁きの日にどう扱われるのか」の疑問である。 ●救いに関して4つの考え方が紹介されている。 A)万人救済論 B)宗教多元主義 C)宗教排他主義  D)宗教包括主義  この4つを知ることによって、聖書の福音を知る私達はこのいずれかをもっているのか考え、上記の「ぬぐいがたい疑問」に迫る。 ■万人救済論…「神は、人間の魂を滅ぼすことなく、最終的にすべての人をーたとえ彼らが何を信じ、どのように生きようともー救ってくださるだろう」との論。第二の死も滅び、裁きもない。主張の聖句はヨハネ12:32。この論より“人間の魂は不死である”が生まれやすい。 ■宗教多元主義…さまざまな宗教が同じ社会に存在することを認め、お互いの価値を認めながら、共存していこうとする姿勢。すべての宗教は等しく有効であり、神と救いに等しく導くものである。すべての信仰は根底において同じことを教えており、どの道を行っても最終的には頂上に達する。「自分の確信に従って信じていればいいんじゃない。どの教えもそれぞれ真理を含んでいるんだよ」的。だから、他宗教の教えについて大目に見るので、自分が信じていることをさほど他人に伝えようという気持ちは薄い。 ■宗教排他主義…一つの宗教教理だけが真理であり救いをもたらすという教義。その宗教の者のみが天国へ行き、他は滅びる。自分の絶対的優位性を強く主張し、他の教えの価値は一切認めず、他は「無価値・偽り」とみる。主張の聖句:使徒言行録4:12「ほかの誰によっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は…」 ■宗教包括主義…他宗教、他教義を表立って攻撃せず、その教えに一定の価値があることを承認し、尊重する。しかし、自宗教、自教義の絶対的優位性への信念は放棄しない。他宗教他教義の中に、真理の契機(きっかけ)は認めるが、それらは真理の一部、あるいは不完全な形に過ぎないと考えている。 ★さて私たち(教会)はこれら4つの中のどれであろうか?どれであるべきか?かつてはどれであったか?考えよう。もちろん私たち(教会)は包括主義のキリスト者である。 ●p89に一人の消防士によって救われた人の例話がある。面白い例話である。つまりキリストによって救われた人の中には、2種類の人がいるのである。1)自分が誰(キリスト)によって救われたか分かっている人々。2)自分が誰(キリスト)によって救われたか分かっていない人々、この2種類である。この2)の人がなぜキリストのことを知らなくても救われたのかが、ローマ2:12~16とp89の『各時代の希望』下108の文によって紹介されている。 ★このローマ2:12~16を読んで考えよう。 「たとえ律法を持たなくても(知らなくても)律法の命じるところを自然に行えば、義とされ、救われる」 ん~、確かにキリスト教知らなくても立派な人いるなあ~。でもふと思う。つまりそんな人は、結局行いによって救われるのかと。そんな人立派な人でも罪は犯しているよなあ~。そこのところどうなんだろう~。やはり結局は、人はこんな人もどんな人でも神様の憐れみと恵みによって救われるのだよなあ~。 でもこのローマ2章のコースで救われるのは、私は全く自信のかけらもない。だから、罪人の一番確実な救いのコースは、罪びとであっても信じ受け入れれば、確実に、確実に救ってくださる。このコースで我々は救われる。だからこそ、この一番安心できる「十字架信じるコース」を、飛行機の眼下に見える人々に伝えていかねばならないのである。 セブンスデー・アドベンチスト教会

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第13課 青年用:青木泰樹

第13課 青年用:青木泰樹

PDFダウンロード 2015年 第3期 聖書の宣教師たち 第13課 全世界が耳にする必要があるのか 青年用:青木泰樹  今週のポイント ① 安息日午後:神の願いはすべての人が救われることであり、そのためにイエスはこの世に来られ、十字架にかかってくださったということを学びます。 ② 日曜日:「どうすればわたしは救われるのか?」ということよりも、「誰がわたしを救ってくださるのか?」ということが重要であり、イエス以外にわたしを救ってくださる方はいないということを学びます。 ③ 月曜日: 聖霊が心に直接働きかけてくださることによって、神が求めることに従い、永遠の命を受ける人がいるということを学びます。しかし、そのような人が救われるのも、キリストの十字架の功績であることに違いはないということを学びます。 ④ 火曜日: 神がすべての人を救いたいと願っており、そのためにイエスを遣わしたことは事実であるものの、神は妥協してまですべての人を救うことはなさらないことを学びます。 ⑤ 水曜日: イエスを必要とせずに救われる人間はだれもおらず、あからさまに拒否することは滅びを招くということを学びます。 ⑥ 木曜日: 神は宣教という方法を通して、すべての人を救いへと導こうとしているものの、そこに何の障害もないということはあり得ません。それでも、神が与えてくださった方法である以上、必ずその目的は達成されるということを学びます。  用語解説 ① ヨブ(90頁): 旧約聖書ヨブ記の主人公。厳しい試練の中においても、神から離れようとしなかった人物。 ② メルキゼデグ(90頁): 創世記14章に「祭司」であり、サレムの「王」として登場する人物。ヘブライ人への手紙では、キリストの大祭司の働きを表わすモデルとされている。  ディスカッションのためのテーマ ① イエスを知らなくても滅びるとは限らないのであれば、イエスを知り、イエスと共に歩むことはなぜ大切なのですか? また、イエスを宣べ伝えることは、なぜ大切なのですか? ② 「西洋の宗教であるキリスト教は日本人の考えにはマッチしない」という意見について、あなたはどのように考えますか? ③ 全世界に福音を宣べ伝えるために、あなたは今何をしていますか? また、これからどのような働きをしたいと思いますか? セブンスデー・アドベンチスト教会

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第13課 聴覚しょうがい者用:英田恭司

第13課 聴覚しょうがい者用:英田恭司

PDFダウンロード 2015年 第3期 聖書の宣教師たち 第13課 全世界が耳にする必要があるのか 1.はじめに  今期は聖書に登場(とうじょう)する宣教(せんきょう)に携(たずさ)わった人たちについて色々学びました。私は、かの7人の一人フィリポの記事(きじ)(ガイド10課)が心に残りました。彼は福音(ふくいん)宣教師(せんきょうし)として召されていませんでしたが(はじめは教会の日々の配給のお世話(せわ)をする仕事のために任命(にんめい)された)、神の導きによって色々な所に派遣(はけん)されることによって、福音宣教者と呼ばれるようになりました。どんな立場(たちば)にいてもイエス様のことを熱心に伝えるそんなフィリポのことが印象(いんしょう)に残りました。わたしもそのようになりたいと思いました。 話し合いましょう(考えましょう) あなたは、どの宣教師(ガイドで示(しめ)された人たち)が印象に残りましたか? また、どんなところが心に残りましたか? 2.世界宣教において起こる疑問(ぎもん)  主は世界に福音を伝えるように命じられましたが、あらゆる時代を通(つう)じて、何百万もの人々が聖書の救済(きゅうさい)計画(けいかく)を知らずに死んで行きました。そこでわたしたちには疑問(ぎもん)が起こるのです。第一に、真の神を知ることなく死んだ人々を神は裁(さば)きの日にどのように扱(あつか)われるのか?また第二に、イエスによる救済計画を知ること以外に救いはあるのか?  今週のガイドはこの二つの疑問に焦点(しょうてん)をあてて、研究が進んで行きます。 3.第一の疑問(神は人をどのように裁(さば)かれるか)を考える  神様が示される原則(げんそく)は、レビ記の中に記(しる)されています。(レビ18:5) 「わたしの掟(おきて)と法とを守りなさい。これらを行う人はそれによって命を得ることができる。わたしは主である。」  パウロは、この原則を次のように解説(かいせつ)しています。(ロマ2:13-14) 「律法(りっぽう)を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行(じっこう)する者が、義とされるからです。たとえ律法を持たない異邦人(いほうじん)も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。」  エレン・G・ホワイトの言葉(『各時代の希望下巻』108-109p) 「異教徒の中には、知らないで真の神を礼拝している人たち、すなわち人を通して光を与えられたことのない人たちがいるが、それでも彼らは滅(ほろ)びないのである。彼らは書かれた神の律法については無知(むち)であるが、自然を通して語りかける神のみ声を聞き、律法に要求されていることを実行した。彼らのわざは聖霊が彼らの心に触(ふ)れた証拠(しょうこ)であって、彼らは神の子として認められる。」 4.排他主義(はいたしゅぎ)に陥(おちい)らないように 使徒言行録4章12節には、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と、救いはイエス・キリストによるとはっきり記(しる)されています。だれもがイエスを通してのみ救われるのです。しかし、イエスの名前や救いの計画を耳にしたことがあったかどうかには関係しないのです。3.で解説(かいせつ)した通りです。イエスは「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ7:21)とおっしゃいました。 神道(しんとう)や仏教(ぶっきょう)を信じていては救われない。キリスト教を信じないと救われない等(など)と、物事(ものごと)を排他的(はいたてき)に捉(とら)えることのないようにしましょう。 【言葉の解説】排他(的)とは、自分(の仲間)以外の人や思想を絶対に受け入れないこと。 5.万人救済説(ばんにんきゅうさいせつ)と多元主義(たげんしゅぎ)の間違(まちが)い 9月22日(火曜日)から  万人救済説では、神はすべての人を愛しておられるので、人は福音(ふくいん)を耳にしなくても、福音を信じなくても一人も滅(ほろ)ぶことはないと考えます。  多元主義とは、すべての宗教は等(ひと)しく有効(ゆうこう)であり、神と救いに等(ひと)しく導くという考えです。どの宗教も神への有効(ゆうこう)な道であり、キリスト教信仰をそれ以外の信仰を持つ者たちに押し付けようとするのは極(きわ)めて狂信的(きょうしんてき)であり、傲慢(ごうまん)だと考えるのです。   間違いなく、万人救済主義も多元主義も聖書に反しています。すべての人が救われるわけではありませんし、すべての信仰が救いをもたらすわけでもありません。(ガイド91頁) 6.宣教(せんきょう)の動機(どうき)  9月23日(水曜日) から  「暗(くら)やみから驚くべき光に招き入れられた教会員たちは、神の栄光をあらわさなければならない。教会はキリストの恵みに富んだ宝庫(ほうこ)であり、教会を通して神の愛がついには『天上(てんじょう)にあるもろもろの支配(しはい)や権威(けんい)』に対してさえも十分明(あき)らかに示されるのである。」(『患難(かんなん)から栄光へ』上巻1p)  神の目的は、罪と反逆(はんぎゃく)が人類にもたらした荒廃(こうはい)と最終的(さいしゅうてき)な永遠の死から人間を救うことです。(ガイド92頁)人間を救いたいという神の強い願いが福音の本質(ほんしつ)です。福音を伝える私たちの動機(どうき)は、この神の愛に動かされるからです。 「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆(か)り立てているからです」(Ⅱコリント5:14) セブンスデー・アドベンチスト教会

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